医院長の御学友である方から、飲み会の席で帆柱山について質問されましたが当時全くわかりませんでした。
質問は名前の由来についてでしたが、答えとしては帆の柱となる杉を切り出したからです。
なぜ帆の柱を切り出しただけで山の由来になったのか全くわからなかったので、その時話はほとんど膨らみませんでしたが、今日記を書きながら調べていくと結構深い歴史の勉強になりました。
現在はわかりませんが、戦後の学校教育では教えられない神話にあたる部分(ONEPICEでいう空白の100年にあたる?)なので細かい事はやめておきます。
少しだけ書くと、八幡西区に皇后崎という地名があり、神功皇后が上陸したという伝説からつけられたようです。
神功皇后には卑弥呼説もあり、北部九州に邪馬台国が?と興味深いですね。私は卑弥呼=日巫女=アマテラスオオミカミ説に太古のロマンを感じます。
あと、皿倉山にあるケーブルですが、正確には帆柱ケーブルではなく皿倉ケーブルですよね。帆柱連峰なので間違いではないというゴリ押し理論らしいのですが、東京ディズニーランドと同じで帆柱山の方が知名度があったという事でいいのでしょうか?
豊岡
新年明けましておめでとうございます。皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
今年は平成天皇が4月30日に退位され5月1日に皇太子殿下が即位されるといった歴史の節目でもあり色々な行事があるそうです。4月1日の新元号発表は何になるだろう?勝手に予想してネットで検索してみたんですが、否定されていました。「安」の字が頭に来るのでは?と言われているらしいですね。つながりはないのですが、歴史の節目という事で、昔の入れ歯について調べてみました。
日本最古の仏姫(ほとけひめ)の木床義歯(もくしょうぎし)
日本最古の木床義歯は、天文7年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺、仏姫(がんじょうじ:ほとけひめ:本名、中岡テイ)という尼僧のものである。この入れ歯は、黄楊(つげ)の木を彫ったもので、歯の部分と一体となっていた。奥歯の噛む蔓がすり減っていることから、実際に使われていたと想像できる。
日本の木床義歯は、食事をしても落ちないように、歯がない上顎の粘膜に吸いつき保持するようにできており、現在の総入れ歯が顎に吸着する理論と同じである。まさに、世界に類のない「木の文化」と日本人の手先の器用さによる「独自の木彫技術」であった。 (歯の博物館より引用)
江戸時代仏像彫刻の需要が減りその代わりに仏師などが「入れ歯師」として業を営んでいたらしいです。製作方法は蜜蝋に松やになどをまぜたもので型をとり、その型に似せて彫りあげるという職人にしか出来ないやり方だったようです。細部は食紅を用い口腔内のあたりが強いところを削って調整していたとの事。
すごいなーと思うのは自分が歯科技工士だからでしょうか? 豊岡